「緑の一里塚」プロジェクト(羽曳野市 野地区)恒常的なまちの魅力向上支援事業江戸時代、竹内峠を越えて堺と大和(現在の奈良県)を結ぶ竹内街道は、人々や物資が行き交う賑わいの道でした。この道の始まりは、推古天皇21(613)年につくられた、「難波(なにわ)」から飛鳥の京(みやこ)に至る「大道」にさかのぼります。羽曳野市の西の入り口である野には、街道の面影が今も残され、羽曳野市の道の歴史に想いをはせることができます。 かつて街道を行き交う旅人の目印であった一里塚にちなみ、地域の方と一緒にみどりを通じて街道の持つ魅力を高めていく「道しるべ」として、大阪ミュージアム基金を活用し「緑の一里塚」を整備しました。 1400年もの時の流れを経て現代に受け継がれ、まちとまち、人と人とを結びつけた街道を、未来へつないでいきます。 |
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