福聚山慈眼寺〔通称〕野崎観音(ふくじゅさんじげんじ)
野崎観音は、天平勝宝年間頃、行基が本尊である十一面観音を刻み安置したことにより始まったと伝えられています。その後、一時荒廃していたものを平安時代、摂津江口の長者(江口の君)が難病治癒の御礼に現在の地に移し再興したと言われています。
江戸時代には、大阪町人や近郊の農民たちの間で行楽を兼ねた社寺詣でが盛んになり、眺めも良く大阪からだと日帰りできることもあり野崎観音は人気を集め、「近在遠郷の参拝者ひきもきらず」という程の盛況を見せました。
「お染久松」悲恋物語として近松半二の人形浄瑠璃「新版歌祭文」や、東海林太郎が歌った「野崎小唄」等の作品の舞台としても登場します。
- カテゴリ
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自然/アウトドア
寺社仏閣/史跡/伝統文化/祭
- 問合先
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野崎観音
- 所在地
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大東市野崎2-7-1
- 電話番号
- 交通
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JR学研都市線 野崎駅下車徒歩8分
- 備考
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