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茅渟神社の渡御(ちぬじんじゃのとぎょ)
秋祭りには「渡御」として4台のやぐらを先頭に、お稚児さん、そして神輿と続き、神社から樽井の浜まで行列でお渡りを行います。このような渡御形態が残っているのは府内でも珍しくなりました。
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茅渟神社(ちぬじんじゃ)
熊野詣が盛んになる平安時代、庶民が八王子権現を勧請したのが起源とされています。豊臣秀吉の根来攻めで一度焼失しましたが、いまの社はその後再建されたものです。約400年前の社殿は、桃山建築の様式を今に伝えています。
また現在では、社名にちなみチヌ釣りの愛好家がお参りにくることもしばしばです。 -
樽井山ノ井遺跡碑と男里山ノ井碑(たるいやまのいいせきひとおのさとやまのいひ)
男里天神の森から樽井小学校付近一帯は山之井水門と伝えられ、「日本書紀」によると神武天皇の兄の五瀬命が矢傷を受け、無念のあまり雄雄しく叫んだところとされており、現在は記念碑と玉垣が建立されています。
また同様に男里にも古事を顕彰する石碑が建立されています。 -
玉葱顕彰碑(たまねぎけんしょうひ)
玉葱の技術を伝えた岸和田の坂口平三郎、栽培を確立した今井佐治平ら田尻の篤農家4名、玉葱の流通ルートを確立した新家の森本徳松の功績をたたえた石碑です。
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お菊山(愛称:お菊山ハイキングコース)(おきくやまはいきんぐこーす)
JR新家駅からスタートするいくつかのコースがあり、昔からハイキングコースとして親しまれています。山頂からは泉州の街並み、茅淳の海と呼ばれる大阪湾、六甲・淡路の山々などすばらしい眺望がパノラマ状に広がります。
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種河神社(たねかわじんじゃ)
新家の各所にあった神社をここに合祀した新家全体の融和のシンボルであり、1624年京都御室仁和寺より、種河明神の神号を授かりました。
春には境内一帯が桜で彩られ、たくさんの人出で賑わっています。 -
大将軍と大将軍祭(だいじょことだいじょこまつり)
大将軍とは新家上村地区の中心を走る道路の真ん中に鎮座する石の祠のひとつです。
毎年10月15日には上村老人会が中心となって、大将軍祭が行われます。藁で注連縄を作り、取替え、祭り当日には、やぐら太鼓を取り付けるとともに、果物やお酒などのお供え物を供えることとなっています。 -
泉南市農業公園(愛称:花咲きファーム)(せんなんしのうぎょうこうえん はなさきふぁーむ)
泉南市の農業振興の中核となることを目的として建設された農業公園です。
公園内にある「デビッド・オースチン・イングリッシュローズガーデン」は、約3000株のバラが咲きそろう春秋のシーズンには多くの人々で賑わいます。またその奥には、見学もできる胡蝶蘭栽培農家「ねば~らんど」など、農事組合法人「かるがもの里」が、花卉栽培を中心に高品質な農作物を生産しています。 -
専徳寺と雨水枡(せんとくじとうすいます)
本寺は、信長の紀州攻めにより全焼しましたが、江戸初期に再興されました。
また「いたら見てこい、専徳寺の天水枡」といわれた雨水枡は、本堂の雨水を受ける大きな枡であり、枡の正面には桐と菊の文様が彫り出され、枡の四隅を四人の力士が支える独特の形をしています。これは「石の左甚五郎」と呼ばれ、幕末に活躍した名石工・奈良利兵衛の作品です。 -
千体地蔵(せんたいじぞう)
二百体以上もの石仏群であり、板碑、地蔵、一石五輪塔、石仏などが林立し、そのうち最古の一石五輪塔は1590年のものとされています。
最近は婚約者が結婚と出産の無事を祈願にやってくることが多くなっています。