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兎田井堰(うさいだいせき)
樫井川を散策するといくつもの堰を見ることができますが、どれも昭和の時期に造られたもののようです。当時としては珍しく、コンクリートで底が固められ、竹製のジャカゴは空気で膨らませて水量を調整するようになっています。
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一之瀬王子跡(愛称:馬頭さん)(いちのせおうじあと ばとうさん)
一之瀬王子の候補地のひとつで、現在は地蔵菩薩馬頭観音を祀っています。藤原定家の熊野御幸記によると「天晴るる 払暁道にいでて 信達一之瀬王子に参ず また 坂の中において祓う 次いで地蔵堂の王子に参ず 次いでウハ目王子に参ず」とあり、後鳥羽上皇一行が当地を出発したときの記述が残されています。
現在は、「みどりの一里塚」として整備されています。 -
一岡神社(愛称:祇園さん)(いちおかじんじゃ ぎおんさん)
本社の祭神はスサノオノミコトが主神であり、昔は海会宮寺の鎮守だったといわれています。俗に「祇園さん」と呼ばれ、毎年八月一日の祇園祭りには、参道や境内に多数の屋台が並び、多くの参詣者が集まり大変にぎわっています。
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畦の谷地蔵尊(延命寺)(あぜのたにじぞうそん)
木々の間の岩肌が常に湿っていることから「汗の谷」と呼ばれたことに由来するといわれています。
根来の僧が病気平癒の願いをこめて地蔵尊を刻んで祈念したことに始まるといわれてるもので、もともと根来寺と新家は関係が深く、大水や旱魃があると救援のために食料や使者を送るとともに、根来寺では雨乞いなどの祈祷が行われたといわれています。 -
秋祭り(やぐらまつり)(あきまつり)
泉州一帯で10月初旬に行われる秋祭りには、「やぐら」と呼ばれる二輪の地車が市内のあちこちで曳きまわされます。
地区毎の自慢のやぐらに加え、特徴ある音頭や曳行が披露されるなど、だんじりとは趣の異なった祭礼が盛大に行われています。 -
青い龍舌蘭(あおいりゅうぜつらん)
「龍舌蘭(リュウゼツラン)」と言う植物は、英名をセンチュリープラントと言い、100年に一回しか花が咲かないとされている貴重な植物です。
また「龍舌蘭」は葉に黄色い斑のあるものを言い、葉が青一色のものは「青い龍舌蘭」と言いわれています。 -
サザンぴあ
本施設は、平成20年7月、人々の憩いの場、ふれあいの場、また地域資源を生かした産品の提供、情報発信の場として開設されました。
新鮮な野菜をはじめ、地元特産品が購入でき、海鮮料理も味わえます。また、関西国際空港を眺めながらのんびりと過ごしたり、「恋人の聖地」及び「日本の夕陽百選」に認定されている泉南マーブルビーチを散策することができます。 -
砂川奇勝(愛称:すなやま)(すながわきしょう)
200万年前の洪積期に和泉砂岩が堆積し、地殻変動により隆起して丘陵となったもので、非常にもろく、雨水等で侵食された姿が、砂が流れる川のようであると称され、「砂川」の地名の由来となっています。また、戦前には一大行楽地として賑わいました。
現在はその規模も縮小されていますが、今でも当時の名残をとどめている貴重な自然です。 -
林昌寺の躑躅・皐月(りんしょうじのつつじ・さつき)
本寺は、天平年間に行基により開創されたと伝わる寺院で、寺庭のつつじ・さつきが見事です。高名な作庭家重森三玲による「法林の庭」の傍らには1565年の銘がある「補陀落渡海碑」や「仏足石」とよばれる大きな石が残されています。仏足石は、仏足信仰として石の上にふたつの大きな足型が刻まれており、全国でも百ほどの例が知られるのみです。また境内の裏山からは弥生時代の銅鐸が見つかっています。
※花の見頃については、HPをご覧ください。 -
紡績工場跡「赤レンガ・RUI」等(ぼうせきこうじょうあとあかれんがるいなど)
泉南の地場産業であった紡績産業は、大正から昭和の高度成長期に大いに栄えました。その後は海外の競争力に押され衰退してしまいましたが、その工場跡が今も昔の姿を留めたまま、活用されています。地域の近代化を物語る歴史の証人として残していきたい遺産です。
またこのほかにもこの界隈は近代に紡績業でにぎわった頃の樽井の町並みを今も残しています。