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道具屋筋のまちなみ
明治15年頃、法善寺の千日前から四天王寺のお大師さんや今宮戎神社への参道として、道筋が栄え、その「参道」に沿って古道具屋や雑貨商が軒を連ねたのが道具屋筋の起こりです。大正末には、数軒だった「古道具屋」が20軒に増えて問屋製造業の「専門店」として歩み始め「商店街」となりました。その後太平洋戦争等幾多の変遷を経て、昭和45年 (1970年)、千里万博の年にアーケードに建設替えを行い、全長150mの現在の姿が出来ました。「道具屋筋のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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道頓堀川沿いのまちなみ
夕暮れとともに道頓堀川の川面にネオンが映し出される夜景は、大阪を象徴する景観の一つと言えます。道頓堀川は、江戸時代初期に3年をかけて運河を完成させた安井道頓の名にちなんで命名されました。川には、道頓堀橋、戎橋、太左衛門橋、相合橋、日本橋の五つの橋が架かり、橋からは川沿いの繁華街のネオンを眺めることが出来ます。川沿いは遊歩道が整備され、ムード溢れる空間を形成しています。「道頓堀川沿いのまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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道頓堀通りのまちなみ
道頓堀は、大阪が世界に誇る「食道楽の街」で、人波が絶えません。江戸時代から芝居小屋が並び茶屋ができ、大変賑わいを見せていた街は、今も昔なつかしい光景を残し、盛り場として受け継がれ活気に満ちています。巨大なカニやフグの立体看板、招き人形等、様々に趣向を凝らした飲食店が建ち並び、飽きさせない楽しさがあります。くいだおれ発祥の地は、凛々と輝き健在です。「道頓堀通りのまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。また、大阪松竹座は大阪まちなみ賞(第18回特別賞)を受賞しています。
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南港ATC・WTC周辺のまちなみ
近代的な建造物と、緑の配された公園、そして海の織りなす雄大な景観があります。ATCの海側にあるウミエール広場には椰子の木が植えられ、南国的な楽しい雰囲気を演出し、従来の殺伐とした港湾のイメージを一新させています。周辺には、南港野鳥園などもあり、散策に、ショッピングに、楽しめる「まち」です。「南港ATC・WTC周辺のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。また、大阪まちなみ賞を受賞している建物もあります。アジア太平洋トレードセンター(第15回大阪市長賞)、大阪ワールドトレードセンタービルディング(第16回大阪市長賞)
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梅田スカイビル周辺のまちなみ
大阪駅の北側に立つと凱旋門状の美しい超高層ビルが眼に入ります。地上173mの空中庭園展望台、昭和初期のまちなみを再現した滝見小路、豊かな緑とせせらぎのサンクンガーデンなどの見所があります。また、空中庭園からは、天気がよければ淡路島を望むことも出来、夕刻、夕陽が、淀川を黄金色に染色に染める景色は、感動的です。「梅田スカイビル周辺のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。大阪まちなみ賞(第14回大阪府知事賞)受賞
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平野郷のまちなみ
平野郷は、奈良への交通の要衝で、戦国時代には周囲に二重の堀をめぐらせた環濠都市であり、堺と並ぶ自治都市でもありました。町割りは、大阪夏の陣で消失後、元和2年(1616年)再整備され、現在に至ります。地区内には、大念仏寺をはじめとした古刹が点在し、その間を縫うように戦災を免れた古い民家が随所に残っています。現在は、住民による町おこしとして、「平野町ぐるみ博物館」運動が進められ、イベント等が行われています。かなり広い地域ではありますが、区役所が作成した散策ルートをたよりに、この界隈を散策するのも楽しい。「平野郷のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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法善寺横丁のまちなみ
織田作之助の小説「夫婦善哉」や歌謡曲でも有名な大阪を代表する繁華街の石畳の路地で、両側に飲食店がひしめき合って軒を並べています。法善寺横丁の中心、法善寺は一日中、線香の煙が漂い、香りがしみついています。水掛不動は、商売繁盛、恋愛成就など様々な願いを込めてお参りの人々が掛ける水でいつも濡れ、苔むしています。一度焼失した際に、法令の制限等で復元困難であったが、関係者の努力もあり、昔のままの風情ある横丁が再建されました。「法善寺横丁のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。また、第26回大阪まちなみ賞の特別賞を受賞しています。
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野田のまちなみ
駅前の雑踏から一歩踏み込むと、大正から昭和はじめに建設された家並みが続いています。野田村は、戦国時代は織田信長と対峙し、石山本願寺攻略などで度々戦火に巻き込まれましたが、幸いな事に太平洋戦争の被災は免れたため、戦前の長屋が今も良く残っています。この地域も、老朽化による建替えや大通りに近い場所でのマンションの建設が進められていますが、古いまちなみには、人情味あふれる下町風景が残っています。「野田のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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淀屋橋周辺のまちなみ
土佐堀川に架かる淀屋橋は、東西に中之島、南北に御堂筋のビジネス街との交点にあり、大阪の経済と文化の鼓動が聞こえるようです。イチョウ並木の両側に整然と建設された日本銀行や大阪市役所、オフィスビルは「天下の台所」現代版です。南向き一方通行の車道の車は、この橋を大河の如く流れています。緑の少ない大阪の市街地であるが、ここに佇むとホッとする空間で、緑に浸りながら、中之島公園や御堂筋の街並みを散策したい気分になります。「淀屋橋周辺のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。また、日本銀行大阪支店は大阪まちなみ賞(第3回特別賞)を受賞しています。
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喜連地区
喜連は「キレ」の音も「クレ」の転訛とされ、『古事記伝』以来「伎人郷(くれひとのさと)」、つまり大阪における最初期の渡来人の定住地であることが定説となっています。
喜連は、古代のムラが中世の環濠集落、近世の惣村へと発展していったことを跡づけられる埋もれた遺跡群が再発見されている真っ最中です。数百年を住民の手で守られてきた18体一斉の地蔵盆、今年180年祭が催された古式豊かな修験道の行事などが、今も息づいています。100年を越える寺・蔵・屋敷からなる歴史的街並みが、時代の波に耐えています。豊富な近世文書はこれから発掘・解明に取りかかるところです。いま、その歴史が明らかになりつつある喜連は、正に、村ぐるみ博物館として積極的に保存・深化させるべき、旧くて新しい生きたミュージアムです。