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旧真田山陸軍墓地
明治4年(1871年)に日本で最初に設置された軍用墓地です。墓地には明治6年(1873年)の徴兵令以前から、西南戦争、日清戦争・日露戦争・第一次・第二次世界大戦にいたる士官・兵士の墓碑と納骨堂があります。
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フジハラビル
近年、古民家やレトロビルの再生が盛んに行われていますが、その代表格がフジハラビルです。1923年(大正12年)に立てられた地上4階地下1階建てのビルディングです。壁の彫刻やアーチ型のまるい窓が特徴的です。
全て藤原氏自らが施工しているのすごい。船の窓を再利用したテーブルは関心を通り越して感動的。コストダウンというより、氏のこだわりや建物に対する愛情のあらわれの部分が大きいように思えます。そうした遊び心が随所に隠されているのも人気の理由でしょう。
いつ来ても何度来ても新しい発見があります。妥協することなく進化し続ける面白いフジハラビル。外から眺めるだけでも十分に楽しめます。 -
山本能楽堂
ビルが立ち並ぶオフィス街から一歩中へ入ると能舞台があります。そこは日常を忘れてしまうほど美しい幽玄な世界が広がっています。建物も素晴らしいですが、ここでは定期的な能の公演はもちろん、初心者向けの新しい企画が数多く開催され、大勢の方がが能の魅力に触れられています。特に能、文楽、上方舞、落語、講談、浪曲、お座敷遊びなど、600年以上前から上方で培われた芸術文化を落語家の司会と解説付きで楽しめる「上方伝統芸能ナイト」というイベントがあり、大変魅力的です。大阪の文化を知る上で大変貴重な場所だと感じます。山本能楽堂は昭和2年に創設され、2008年に80周年を迎えた大阪で一番古い能楽堂で、国登録文化財の指定を受けています。
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大阪府立中之島図書館
中之島図書館は明治37年に文化振興、経済発展を願う住友家第15代当主、住友吉左衛門友純氏によって大阪府に寄贈され、「大阪図書館」として開館、以来百余年もの長きにわたり知の殿堂として多くの人に親しまれてきました。
当館の建物正面はギリシャ神殿を、館内中央ホールは教会を思わせる造りとなっており、明治時代の代表的な洋風建築として、昭和49年に国の重要文化財(本館、左右両翼)に指定されました。
さらに、四季折々に違ったたたずまいを見せる外観と、ブロンズ製の神像などの芸術作品や華麗なデザインが施された中央ホール壁面 -
寺西家阿倍野長屋・町屋
寺西家阿倍野長屋建築は、阪南土地区画整理組合(全国2番目)の施行区域に存在し、長屋としては日本で最初の文化庁登録有形文化財に指定された歴史的建築物です。戦前から今日まで現存する四軒長屋であり、近代長屋の外観を残し、生き生きした雰囲気を醸し出す飲食店として現存しています。その向かいにある寺西家住宅とともに、そのものの価値自体が完全なるアートです。
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大阪北新地伝統芸能(芸妓衆)
北新地にはベテランから若手を含め十数名(H20)の芸妓がいます。一時は数百人の芸妓がいたそうですが、戦火や時代の流れとともに、廃れてしまって現状に至ります。それでも【大阪花街】の火を絶やすまいと、日々踊りや三味線のお稽古に励んでいるそうです。
【大阪花街、北の新地】といえば文楽や上方歌舞伎、上方落語で有名な演目の題材にもなっています。例えば、近松門左衛門作の「曾根崎心中」や「心中天網島」に登場しています。 -
大阪公立大学 杉本キャンパス
大阪市の南部、大和川を臨む地にある杉本キャンパスは緑豊かな清々しい環境が魅力の1つとなっている。杉本キャンパスのシンボル的存在である1号館(昭和9年(1934年)竣工)は国の登録有形文化財に登録されている。敷地中央にある「学術情報総合センター」は世界的に貴重な書物も含め200万冊以上の蔵書を有し、教育・研究のための快適な環境を整えている。また、図書市民利用制度を設けており市民も利用できる。他にも八角形の大会議場・展示室等を連なる田中記念館、再生ガラスと透明ガラスを組み合わせた外壁と樹木が融合する高原記念館などがある。
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大槻能楽堂
大阪城からほど近いところにある、戦前からつづく「大槻能楽堂」。1935年、当時一般的だった桟敷席をいす席にした異色の能楽堂として誕生しました。戦禍を免れた関西で数少ない能楽堂でもあり、戦後も能楽公演を継続してきました。大阪城のもっとも大きい石垣の実物大の写しを、橋掛の背景にしたり、能楽の音楽的特質を考慮して残響時間を約1秒に設定するなどの特徴をもちます。定席502(補助席70)席。能楽は室町時代に大成・現存する世界最古の舞台芸術と謳われ、ユネスコ世界無形遺産にも宣言される日本古来の伝統芸能ですが、大槻能楽堂では、古典のものとともに、新作能も上演して後世代にも能の魅力を広めています。
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神農祭(少彦名神社)(しんのうさい)
文政5年、コレラが大流行した際、道修町で薬種問屋が丸薬をつくり、張子(ハリコ)の虎を神前に供え、疫病祈願をこめたことが始まりといわれています。例祭には厄除けの笹につけた張子(ハリコ)の虎が授与されます。道修町通り堺筋から御堂筋まで車輌通行止にして、露天が並ぶのが楽しみのひとつです。平成19年4月には、大阪市無形文化財(民俗行事)に指定されました。
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彦八まつり(生國魂神社)
上方落語の始祖・初代米澤彦八(よねざわひこはち)は元禄から正徳の江戸中期にかけ、生國魂神社の境内で「軽口囃子」や「しかた物真似(役者の身振りや声音を真似る芝居囃のルーツ)」を演じていました。彦八師の世評はすこぶる高く、上方落語の三要素「素囃」・「芝居囃」・「音曲囃」の原型を確立させた他、落語のネタを囃本としても残しました。明治中頃までは現代にいうような落語家や噺家の名称は無く、落語家は総じて「彦八」と呼ばれていました。彦八まつりは、大看板から若手までの上方落語家が一同に会し、「扇納祭」・「種々の芸能の奉納」・「落語家おもしろ屋台」の企画をメインに、様々な一般参加の企画を取り入れ、落語ファンはもとより一般府民の方々とも直に交流を深めるとともに、上方落語の素晴らしさを広くPRし、さらなる発展と芸の継承をすることを目的としています。2日間で約16万人の人出があります。