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右近の郷(うこんのさと)
右近の郷は、廃校になった高山小学校を改修整備し設置された施設で、そのグラウンド跡には高山右近・志野ご夫妻の石像が建立されています。
高山右近は豊能町の高山地区、妻の志野氏は豊能町の余野地区が出身であり、この石像は夫妻が豊能町にゆかりのあることを示す重要なものです。
また本施設は、毎週日曜日に農産物直売所がオープンし、地域で採れた新鮮な農産物が販売されます。冬には、「高山真菜」、「高山牛蒡」という豊能町特産のなにわの伝統野菜が出品されます。 -
平和公園
平和公園は市制施行20周年を記念して、昭和61年11月5日にオープンした公園です。北・中央・南の三つのゾーンからなり、北ゾーンには梅林が植えられ春には花見が楽しめます。中央ゾーンはスポーツ等ができる広場が設けられております。南ゾーンには、当時では日本最大規模のアーチ型カリヨンや、広島市から譲り受けた被爆石のモニュメントを配しております。カリヨンは高さ約9mのアーチに15個の鐘が取りつけられおり、季節のメロディーを奏でることができます。被爆石(幅1.6m 高40cm)は、爆心地から南約1kmにあった広島市役所旧庁舎の前庭に使われていた敷石で、表面に熱線を浴びた焦げ跡が薄く残っています。
本公園は花とみどりにあふれ、憩いの場として多くの市民に親しまれている施設です。 -
助松村境石造物群(すけまつむらざかいせきぞうぶつぐん)
地元では「ホウケント」と呼ばれる石造物群です。地蔵堂・徳本上人筆名号碑・西国巡礼供養塔・六十六部廻国供養塔が建っています。かつてこの地には「川ぶち」という大きな淵がありました。地蔵堂には、遍路がこの堂へ泊まった際に「地蔵さんが集まって、その晩に助松で生まれた子供の寿命を決めていた」夢を見たという話が伝わります。六十六部廻国供養塔には、この地で寿命を悟った念仏聖が生きたまま穴に入り、鉦(しょう)をたたきながら亡くなった話が伝わります。
石造物群の存在はムラにおける境神信仰の様子を知ることができるものとして貴重です。 -
森村境石造物群(もりむらざかいせきぞうぶつぐん)
森村境石造物群は、地域では「せきの地蔵」と呼ばれています。水路沿いにあるこの場所が、旧森村の境であると認識されています。「せきの地蔵」は大正時代に水路をせき止めるように埋まっていた石仏を引き上げて祀ったことから「関」の地蔵と呼ばれ、それが転じて「咳」の神様といわれていますが、この呼び名は「関」(村境)と通じるのが面白い点です。他に子安地蔵10体、足神2体がお祀りされています。
石造物群の存在はムラにおける境神信仰の様子を知ることができるものとして貴重です。 -
二田村境石造物群(ふったむらざかいせきぞうぶつぐん)
二田村境石造物群は、地域ではこの地が旧二田村の南端であると認識されている場所にあります。石仏は、蓮華寺由来の「役行者」「不動明王」「厄除観世音菩薩」「弘法大師」「子安地蔵尊」「せき地蔵尊」「づつう地蔵尊」、旧大神宮(明治42年 曽禰神社に合祀)由来の「才の神」、村の辻々にあった4体、近年建立された「交通安全地蔵尊」の、合わせて13体の石仏が祀られています。地域ではそれら石仏を総称して「地蔵さん」あるいは「二田(ふった)の地蔵さん」と呼び親しまれています。ムラの出入口は災厄が出入りする場所であり、そこに信仰物を祀る行為は、災厄がムラに入るのを阻止する意味をもっています。
「交通安全地蔵尊」は平成10年に建立され、石造物群中最も新しいものです。地蔵堂から離れた場所にある信号機設置場所で事故が多発しても、横断歩道はあるが信号機は設置されていない地蔵堂前で事故がおこらないのは「交通安全地蔵尊」を祀っているからであると、地域では語られています。
石造物群の存在はムラにおける境神信仰の様子を知ることができるものとして貴重です。
現在は、年1回8月23日・24日に地蔵盆が開催されています。 -
小林美術館(こばやしびじゅつかん)
小林美術館は、2016年6月に開館した、高石市で初めての美術館です。
横山大観、上村松園など、文化勲章を受章した日本画家(39名)全員の作品を所蔵しているのが特徴で、テーマを設けた特別展や季節に合わせた季節展を開催し、近代日本画を中心に紹介しています。また、学芸員による解説など各種イベントもございます。
展示室では作品を間近に鑑賞することができ、美術鑑賞の後は1階のカフェでくつろぎながらコーヒーや軽食が味わえます。美しい松林で有名な浜寺公園も近く、公園散策の帰りに立ち寄ることもできます。いつでも気軽に日本画に親しめる新しい観光スポットとしてお勧めです。 -
大正区の工場群とその足跡を伝える石碑
大正区では明治から昭和初期にかけて、造船業、鉄鋼業などが栄え、巨大な工場群を形成、大阪の産業を牽引してきました。
戦後、それら産業は時代のニーズに応じて様々な業態に変化してきました。特に、船町から鶴町にかけては、合金、港湾機械、船舶及び映画のロケ地にもなった製鋼所等の工場が軒を連ね、その風景は大正区のシンボルとなっています。
また、明治から大正にかけて「東洋のマンチェスター」と言われた大阪の紡績業の発祥の地と大阪空港の前身となった木津川飛行場跡地に石碑があり、大正区がかつて紡績と空路の中心であったことを伝える数少ない貴重な史跡となっています。 -
大正区とその周辺を結ぶ橋梁群と渡船
四方を尻無川、木津川及び大阪湾で囲まれた大正区はまさに「島」。区を往来するには、橋または渡船を使う必要があり、住民の生活にとってなくてはならないものです。
なみはや大橋、千歳橋など巨大なものや千本松大橋、新木津川大橋のようなループ状のものなど、迫力ある橋梁は区のシンボル的な建造物です。
渡船は区内に7ヶ所あり、料金は無料。住民の足として、重要な役割を担っています。船上から見ることのできる工場群やクレーンなどの風景は大正区ならでは。令和4年には「ふね遺産」に認定されました。 -
旧河澄家(きゅうかわずみけ)
河澄家は江戸時代に日下村の庄屋を努めた旧家で、代々地域の発展に貢献してきました。平成21年3月に保存修理工事が完了して、平成23年5月から一般公開を行っています。
敷地内には、3棟の建物と主庭、裏庭、「日下のかや」として東大阪市の天然記念物に指定されたカヤの木を有します。
敷地中央に江戸時代初期の様式でたてられた主屋があり、西側に奥屋敷「棲鶴楼」、奥手に土蔵が配置されています。このうち主屋と奥屋敷「棲鶴楼」及び庭園を含む敷地が平成13年11月8日に東大阪市の文化財に指定されています。
かつての文人墨客が集い、庭を眺め、花合わせや観月の催しに興じたという記録の残る棲鶴楼は数寄屋風書院造の建物で、ここからは枯池式枯山水庭園である主庭を望むことができます。 -
とよのコスモスの里
花の愛好家が始め、今では全国にその名が知られるようになった「とよのコスモスの里」。約1ヘクタールの園内に咲き競う色鮮やかなコスモスは、およそ数百万本。園内の遊歩道を進むと、大人の背丈ほどもあるコスモスにすっぽりと包まれ、秋の風情を満喫することができます。
【開園期間】9月中旬から10月下旬